インド駐在経験者の中でも丹治大佑さんは稀有な存在だ。5年間の駐在生活でインドに魅了され、帰国後の今も「インドの魅力を多くの人に伝えたい」と情報発信やイベント企画など精力的に活動を続けている。いったい、インドの何がそこまで彼を惹きつけるのだろうか?お話を伺った。
丹治さんの背景
商社で働く丹治さんは、2013~18年でインドに駐在、うちデリーに2年、ムンバイに3年住んだ経験を持つ。
インドから帰国した後はSNSやイベントなど、日本でインドの魅力を広める活動を精力的に行っている。2021年からclubhouseとFacebookグループをほぼ同時に開始。clubhouseでは「日本とインドの架け橋」や「インドビジネス研究会」でインド関係のゲストとの対談など、ほぼ毎週発信を続けており、現在メンバー数は1,300人以上になっている。SNS以外にもインドビジネスセミナーやインド好きのための交流会なども開催しており、活動を通して多くのインド好き、インド関係者とつながってきた。
日本でどんどん「インドの輪」を広げている丹治さん。しかし、駐在前はインドについてほとんど知らなかったそうだ。
「そもそもインドが初めての駐在国でした。それまでインドには一度も行ったことがなく、仕事でも関わったことすらありませんでした。最初は何も知識がありませんでしたね」
筆者もインドで働いた経験があるが、「インド駐在」は人気がない。やはり日本では、インドの印象はまだまだよくないものと感じる。しかし、駐在が決まったとき、丹治さんは不安よりもワクワクの方が大きかったという。
「僕はもともと好奇心旺盛なんですよね。インドがどんな国なのか、どんな人々がいてどんな文化があるのか、日本であまり知られていないし、駐在経験者も少ない。そんな国に行って、自分が開拓できるんだとワクワクしました。当時3歳の息子がいたので、衛生面と治安だけは少し気になりましたが、ワクワクの方が勝りました」
ぐるぐる回る天井のファンを見ながら泣いた
日本とは大きく環境が異なるインドでは、どんな生活上の苦労があったのだろうか。
「インドに着いた初っ端から大変でした。通常、駐在員は高級住宅をあてがわれるんですよ。でも、僕は交代ではなく増員で行ったので、駐在員が住む家に空きがなく、サービスアパートというシェアハウスのようなところに住むことになったんです。会社側としても、『駐在員でもサービスアパートに住めるのか』試したかったんでしょうね」
さらに丹治さんが住むことになったサービスアパートは、他の駐在員が住む高級住宅が集まる地域ではなくローカルに近い場所だった。家の真隣が、毎朝4時に鐘を鳴らすヒンドゥー寺院。そして丹治さんが赴任したのはインドの酷暑期である5月。日中の気温は45度を超えていた。
「備え付けのエアコンはすごくうるさいし、高速回転する天井のファンは落ちてきそうで怖かった。エアコンもファンもうるさくて眠れたものじゃなかったんです。けれど、消すと当然暑い。起きてまたつける。消す。つける。そうやって繰り返しているうちに、ヒンドゥー寺院から鐘の音と祈祷の声が聞こえてきました。
他の駐在員たちはもっと広くていい家に住んでるのに、なんで自分だけ?って正直思いましたね。ベッドに横たわって、ぐるぐる回る天井のファンを眺めながら泣きました」
本当のインドを知っていく
そんな苦労もあったインド生活だったが、丹治さんは次第にインドに馴染んでいく。
「専属ドライバーの存在が大きかったです。僕の話し相手になってくれて。明るくてひょうきんな彼と話していると、インド生活の辛さも忘れて本来の自分に戻れるような感覚がありました。ドライバーだけど、友達のような関係でしたね」
インドの駐在員は一人一台専属のドライバーがつく場合が多い。インドの治安を考慮し、メトロやリキシャ(三輪タクシー)は利用してはいけない、ローカルな場所には行ってはいけない、などのルールを設ける日本企業もある。そんななかで、丹治さんはローカルな地へ繰り出していった。
「インドに住み始めて1か月後くらいですかね、『そうだ、探検しよう』と思いました。車で移動しているだけでは、全然インドのことがわからない。だから、車を使わないで自分の足でデリーという街を見てみようと。それからは、毎週のようにローカルマーケットに遊びに行きました」
自分の足で歩くと、見える景色が今までとまったく違っていた。薄汚れた白いタンクトップを着て佇んでいるだけなのに、絵になるインド人。不思議な魅力を感じ、もっとインドを知りたくなったという。
「メトロやリキシャにも乗って、とにかくいろんなところに行きました。リキシャの親父と10ルピーか15ルピー(約22円)かで揉めたりね(笑)そのうち社内の誰よりもデリーに詳しくなり、会社の人から『とりあえず丹治に聞けば何かわかる』と言われるほどになりましたね」
「丹治はハーフインディアンだ」
生活面では次第に慣れ、インドを楽しんでいた丹治さんだったが、インド人と仕事をするなかで驚いたことがあったという。
「インド人はとにかく体力がある。大きな商談に何日もかけて、絶対に妥協しないんですよね。やっとまとまったと思っても、次の日には覆してくる。インド人は常にポーカーフェイスで弱みを見せず、交渉に情なんて通用しませんね。結局、こちらが折れてしまう。もはや頭がいいとかではなく、体力があるんですよ。こりゃあ敵わないなって思いました」
インド人の強みに圧倒された丹治さん。そんな彼らに対抗するために「自分がインド人になるしかない」と思ったそうだ。
「自分をインド人化すれば、彼らの頭の構造になれるんじゃないかと思いました。それで、ヒンディー語も勉強して、彼らの振る舞いごとマネしてみました。インド人って身体的な距離が近いんですけど、僕も自分から同僚の肩に手を回すなんてこともありましたね」
「インド人になろう」と、ここまで行動できる人はなかなかいない。ヒンディー語を話すことで相手との距離がグッと縮まり、商談が有利に進んだこともあったという。日本に帰国するときには、インド人から「丹治は完全にハーフインディアンだ」と言われたそうだ。今まで丹治さんが努力してきたことが、インド人に認められた瞬間だ。
インド人に救われる人がたくさんいると思う
日本人駐在者は、帰国の日を指折り数えて待つような人も多い。そんな中で、丹治さんがここまでインドに惹きつけられた理由とはなんだろうか。
「インドはカオスだけど、みんな自分を受け入れて生きています。ありのままの自分を認めているのが魅力です。人間や文化の奥深さがあるんですよね。
僕は『自分の足で歩いて生きてる』という感覚を、インドで初めて味わったんです。全てが行き届いている日本では『自分の力で生きている』という感覚は薄かったけれど、カオスでハプニングだらけのインドでは自分の生きる力が育まれるような感覚がありました。
そんな国が人口も経済も、これから世界1位になろうとしている。『こんなにおもしろい国があるんだ』って日本中に知らせたいです。それが、結果的に日本を明るくするんじゃないかって思うんです。
今の日本は、悲しくて暗い雰囲気が漂ってると感じます。心の病を持っている人も多い。そんな日本にもっとインド人がいたら、彼らの明るさやありのままを受け入れる姿に救われる人がたくさんいると思います。ただこれを言っても、最初はなかなか理解してもらえないんですよね」
インドの良さが日本を明るくするヒントになる。それをもっと知ってほしいという気持ちが、丹治さんを動かす原動力なのかもしれない。
インドに恩返しがしたい
SNSでの情報発信やインド関係イベントの企画、講演など、いつも精力的に活動されている丹治さんに、今後の目標を聞いた。
「自分で言うのもなんだけど、僕は利他主義なんですよ。自分は犠牲になってもいいって思っているところがある。僕は誰かにとって、何かのきっかけになればいい。それで笑顔になったり、勇気を出せたりする人が増えたらいいと思います」
丹治さんの考えと、インドの明るく人を救ってしまう性質が共鳴する部分があるのだろう。
最後に丹治さんはこう言った。
「『インドに恩返ししたい』っていう気持ちが常にあります。僕はインドに救われたんですよね。インドに行って、心が解放された感覚があった。そこに対して恩を感じるんです」
そう語る丹治さんの目はキラキラ輝いていた。実際、丹治さんが生き生きと語る姿を見て、インドに関心を持った人もたくさんいる。まさに元気がない人に、勇気を与えるような存在だ。次々と新しいことに挑戦し続ける彼の今後から目が離せない。
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